大恩ある埼玉県立浦和高校体操部のOB会HP開設に寄せて、駄文を掲載させていただく失礼をお許しください。HPのその物のご紹介は小川会長が寄せておりますので、私は体操部に関わる青春プレイバック編を書いてみたいと思います。
私は一応中学でも体操部でしたが、殆ど幽霊部員で鉄棒の大車輪などは夢の夢、やっと蹴上りができるくらいの力量でした。高校では体操など眼中になかったのですが、内申書に体操部出身とあったので、それを見た同期のY君が誘いに来てくれました。クラスの連中を見ると、皆さん最初はどこかのクラブに入部するのですが、1ヶ月くらいでほとんどが退部。それを見て私も帰宅部を決め込んでいましたが、熱心なお誘いだったので、卒業まで続ける気持ちは無かったですが、6月くらいに入部しました。
中学時代浦和市で個人総合優勝、県でも一桁だったというY君の見事な演技に圧倒され、日曜以外は練習で、毎日今日で辞めようと考える状況でした。しかし、何とか練習を継続できたのは、小川会長を始め、皆様の励ましでした。少し技ができてくると欲が出てきて、夏の合宿を終えると、惰性が付いたというのか、日々運動をすることが「日常」となりました。その結果卒業まで続けてしまいました。尤も、成績の方はというと個人総合では40点台、2,3年で団体総合5位入賞に貢献できたのが僅かな実績でした。
大学は東京都下にある2学部だけの技術系国立大学へ。何か運動を続けようと思っていましたが、体操部は無し。そこで埼玉で育ったせいか、海への憧れでヨット部へ。秋の新人インカレに出場しましたが、50杯(競技用ヨットの数え方は杯)くらい出場のレースで7位でした。
但し、学生が行うレース用ヨットは外洋に出る物ではなく、岸から大島などを見ているうち大海原に出てみたくなり、仲間のヨット部員と数人で集団退部。アルバイトをして共同でクルーザーと呼ばれる外洋に出られる船を購入しました。最初は堀江健一さんが初めて太平洋を単独横断した時と同じ型のヨットで、意外に安価でした。これで一番遠くに行ったのは伊豆七島の式根島でしたが、港に着くと「こんな小さいのでよく来た」と言われました。
ただ、クルーザーはクラブではないので普段は暇。体操で沁みついた影響というのか、体を動かしていないと落ち着かない。そこで、2年から陸上競技(短距離)を開始。ところが、これが大当たりでした。100mのベストは11秒6。選手として一番モノになったのが陸上競技でした。私の走りは50m過ぎてからの加速が他の選手より上という特徴がありました。これは体操で鍛えた筋肉が役に立ったと信じています。現在、全てのスポーツで筋力トレーニングの重要性は認められていますが、当時は認められないどころか、やってはいけないという上級生もいました。しかし私は無視、筋力トレーニングを続けました。今になってみれば、時代を先取りした練習だったと考えています。弱小チームなので400mリレーでは常にアンカーを務めました。今や400mリレーは日本陸上チームの目玉商品、オリンピックや世界選手権でメダルをとるほどですが、観戦の際は自分が走るようで力が入ります。
関東インカレも100mに出場しました。さすがに壁は厚く1次予選5位で落選でした。
そんな経緯で、私は学生時代にヨットと陸上競技という2種目で関東インカレに出場、という経験をしました。こういう方は日本中探しても少ない思われます。トップ選手では絶対あり得ません。マンモス私大出身の方も無理でしょう。たまたま学生の少ない大学の弱小クラブだったことで可能だったわけですが、それでも日々の練習は必要です。その源になったのが浦和高校体操部での3年間なのです。体操部の3年間がなければ、全く違う人生となっていたと言っても過言でありません。改めて入部当初常に励ましてくれた皆様に感謝申し上げます。
高校22期卒 馬場一秋


